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不動産を学ぶ

不動産と歴史

2018.08.02.

歴史から学ぶ、不動産投資で恩恵を得た企業と人々

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 「マンション」「戸建て」「アパート」など、人が住む場所を得ようとしたとき、きっと誰もが「買う」か「借りる」かのどちらかを想像するでしょう。現代では、むしろ当たり前ともいえる不動産取引。しかし、長い歴史の中で土地・建物(不動産)は、その時代に応じていろいろな扱われ方をしてきました。不動産を売買または賃貸するという発想や、現代のような不動産取引は一体いつから始まり、どのようにして日常生活に根付いたのでしょう。

ここで、不動産と歴史を振り返りながら、今までとこれからの不動産と扱い、そして活用を考えて見ましょう。

「土地」と「建物」の所有と活用の歴史

 個人が土地を所有する発想の始まりは743年の「墾田永年私財法」。開墾した人が土地を持つことができるという「土地私有化」のスタートです。

切り開いた土地を使って農作物を育て、生活を維持する土地活用が始まり、時の権力者はその土地の持分によって耕作人に作物を上納させて政権を保ちました。次第に、武士や派閥の勢力争いを生み、土地は「縄張り=強さ」の象徴と扱われることに。

土地や建物を「貸す」「買う」という発想が生まれたのは、江戸時代から。幕府は地方勢力を弱める目的ともいわれる参勤交代をスタートさせ、また商人の登場によって江戸城下町が栄えることで、自然と江戸の都に人が集まりはじめます。

人が集まるところには住まいが必要です。しかし、生活するための家を建てる土地の8割は武家や寺社が所有していました。そこで、残り2割の土地に密集して庶民が生活するための長屋が建ちはじめます。この長屋こそが建物活用(賃貸)の始まりです。

徳川家康が江戸のインフラを。勝海舟が神戸の繁栄を

江戸時代の武家・寺社は権力を持ち、富裕層である商人は資金を有していました。お金を持つ富裕層は行政や公事にも参加するようになり、公には認められていなかった土地売買も、証文を交わしはじめます。得た土地に長屋を建て、「町役や商人が長屋を所有して管理人(大家)を雇って庶民に貸す」という、現代の賃貸借システムが形作られました。

江戸時代に土地や建物、またインフラ整備の取り組みをした才者といえばやはり徳川家康でしょう。江戸幕府が創立するまで、入り江の戸口と呼ばれていた(「江戸」の起源)その地は約30キロ平米ほどの広さしかありませんでした。そこで家康は有能な人材を都に集め、商人の町として栄えていた上方(関西)の有力者を中心に誘致を行い、街区や道路の整備に着手して陸路と水路物流を可能にするきっかけを作ったのです。

また、商業と水路の整備に関する不動産投資話のひとつに、勝海舟の逸話があります。神戸に海軍操練所を建設した勝海舟は、神戸が後に港町として栄えることを予想し、地元に住む人へ土地を購入することを勧めていたといわれています。予想は的中し、神戸周辺は地価が上昇して地元の人たちに売却収益をもたらしました。

建物と土地が整備・運用された明治時代

 1867年、大政奉還によって江戸時代は終焉を迎えます。明治時代の幕開けとともに、新政府は安定した国家運営を目指して「明治5年:田畑永代売買禁止令」を、翌「明治6年:地租改正」を発令・施行しました。

 それまでと大きく変わったのは、税を作物納から金納にし、更に納税者が耕作者から土地所有者となった点です。土地を個人財産と認めて、土地売買や物的・賃貸借担保の対象とすることで土地を運用し、金を流通させて国家収入の安定をねらったのです。

 税が金納に変わったことで、耕作地に縛られる必要がなくなった人は移動が自由となり、職業選択も自由になりました。商業が栄える東京に人口が集中する流れは変わらず、都市化の波が一気に高まります。そこで、土地を所有する人が会社をたちあげ、人口の多い場所に家を建てて(建売住宅)販売する不動産業者が増加しました。

不動産活用で成功した明治の富裕財閥

人が自由に移動し、営むことを許され、また不動産所有者を明らかにすることによって、土地や建物を持つ人と借りたい人の間を取り持つ「仲介業」も誕生しました。明治時代中期には、商業起点としてオフィス街を作る計画が持ち上がります。ロンドンのオフィス街を模したテナントビルが1892年に三菱財閥によって建設され、その後も4つのビルを完成させました。自由な発想で様々な職業がスタートし、商用向け仲介業が形作られた最初のモデルともいえるでしょう。

 明治時代の豪族、財閥の中には、現在も不動産業に名を残しているものがあります。日本で最も古い不動産会社といわれる東京建物の創始者である安田善次郎は、両替商として江戸日本橋に開業して以来、様々な事業を拡大して1896年に同社を設立しました。設立当初から住宅ローンなど金融系事業も積極的に導入し、現在も不動産販売代理やコンサルティング、マンション建設管理業だけでなく、駐車場事業や商用施設建設・運営、再開発事業、ファンドマネジメントにも事業展開しています。また、上海を中心としてアジアにも拠点も有しています。

戦前戦後と復興 ニーズに応える建物

 建売住宅は富裕層を中心にして順調に普及したものの、若者が上京して暮らすには金銭的にも広さも適していませんでした。当時はまだ長屋の名残もありました(現在のワンルーム型賃貸物件と同じような間取りの平屋造り)が、急速に発展していく東京中心部には、粋で栄えた土地にあこがれる若者が集まります。1910年、上野に洋風木造アパートが建てられたことをきっかけにして、集合住宅に住むという生活スタイルが始まりました。

https://www.photo-ac.com/main/detail/49409

また、当時の商業を支えるために栄えた長崎の端島炭鉱では、炭鉱員5000人もの住まいを支える国内初の高層鉄筋アパートが建設されました。1974年に閉山した端島(軍艦島)は、2015年に世界文化遺産として登録されましたが、映画「進撃の巨人」ロケ地になったことでも有名です。廃墟化しつつもその形を100年以上にわたって残存させている点、鉄筋構造の耐久性と人が住まなくなった住宅の儚さを感じさせます。

 関東大震災が起こった1923年(大正12年)、東京は壊滅的被害を受けて多くの建物も倒壊します。そこで政府は、財団法人同潤会を設立して賃貸住宅や木造戸建て住宅、軍人貴族用アパートなどを1万戸以上建設しました。結果としてこの頃、集合住宅が急速に普及することとなりました。また同年、誰もが出入りすることができる商用テナントビル「丸ビル」が建設されました。

現在そしてこれからの不動産活用方法

 不動産を活用した事業を歴史とともに見ていくと、その所有と運用、建物の扱いで共通して「人口が集中する場所」「繁華地・中心部」というワードが出てきます。人が集まっている場所、これから集まりそうな場所こそ土地が必要であり、住まう人に合った建物が求められることが分かるでしょう。

 地方各地の過疎化が問題となっている反面、特に東京都心部は若者の単身者人口が増加しています。開催が決定した東京オリンピックに向けてこの動向は更に強まり、また今後も単身者・単世帯者向けの賃貸物件ニーズは拡大していくでしょう。

 不動産投資の基本は、先見の目と適材適所です。かつての偉人が行ってきたように、

数年後、数十年後の状態と可能性を想定しながら、必要とされるものを求められる場所に所有することで、確かに堅実な運用を実現することができるでしょう。

参考文献
「歴史を考えるヒント」 網野善彦 著  新潮社2012年出版
不動産業の歴史入門」 蒲池紀生 著  住宅新報社2010年出版
「日本人と不動産―なぜ土地に執着するのか」 吉村慎治 著 平凡社2011年出版
「日本の歴史をよみなおす(全)」 網野善彦 著 筑摩書房2005年出版
「新訂 海舟座談」 厳本善治編集 勝部真長編さん 岩波書店1983年出版
「安田善次郎 増補版 私の修行時代/私の投資する基準:幕末・明治 金融ベンチャー創業者の回想」
安田善次郎 著 資産形成研究会編集 Kindle版
「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」 河合雅司 著 講談社2017年出版

【ライター】竹林みか
フリーランス・Webライター
大分県在住。地元企業との偶然な出会いからライティング依頼を受けたことをきっかけに、不動産関連・保険・福祉・子育て・キャリアアップにまつわる記事を執筆中。二児の母。
「頑張らない」「細く長く続ける」をモットーに、いかに楽しく有意義に過ごすかを模索する日々を送っています。

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